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東京地方裁判所 平成4年(行ウ)53号 判決

原告

善元幸夫

右訴訟代理人弁護士

吉峯啓晴

森田健二

吉峯康博

中村晶子

蛭田孝雪

青木秀樹

高橋美成

右訴訟復代理人弁護士

鮎京眞知子

被告

東京都教育委員会

右代表者委員長

石川忠雄

右訴訟代理人弁護士

白上孝千代

原田昇

右指定代理人

後藤孝教

瀧上芳明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が昭和六三年四月一日付けで原告に対してなした墨田区立中川小学校への転任処分を取り消す。

第二  事案の概要

原告は、昭和四九年四月より東京都江戸川区立葛西小学校(以下、葛西小という)で日本語学級の教諭として在職していたが、昭和六三年四月一日付けで東京都墨田区立中川小学校(以下、中川小という)の教諭へ転任となり、普通学級を担当することになったところ、被告の右転任処分がその裁量権の範囲を越え、手続にも重大な違背があり違法であると主張して、右転任処分の取消しを求めている事案である。

一  前提となる事実(末尾に証拠を掲げたもの以外は、当事者間に争いがない事実)

1  原告は、東京学芸大学在学中、小学校全科(「小全」と略称されている)一級、中学校社会科一級、高等学校社会科二級の教員免許状を取得して昭和四九年三月に同大学教育学部社会学科を卒業し、同年四月一日に東京都公立学校教員に任命されて葛西小教諭に補職された。

2  原告は、葛西小で一貫して日本語学級を担当していたところ、葛西小校区内には主に大韓民国(以下、韓国という)及び中華人民共和国(以下、中国という)からの引揚げ者を六か月間止宿させるための寮が存したこと等により、日本語学級の児童の大多数が右引揚げ者の子供たちで占められていたため、日本語を母語としないこれら子供たちとのコミュニケーションをはかり、有効な日本語教育を行うことを目的に、自費で韓国語及び中国語を習得した。

3  原告は、葛西小の日本語学級担当中に、それまで日本語を母語としない子供たちに対する教材等がなかったので、同僚の春日井章子教諭(以下、春日井教諭という)らと協力し、「文型の基本」(たのしい日本語Ⅰ)、「生活指導の手引」(たのしい日本語Ⅱ)という教材を作成した。これらの教材は、原告の授業で使用されたほか、他校や他教育機関で日本語教育を担当する教諭の指導書としても広く利用された。原告は、昭和六二年ころ、右の教材を発展させた新たな教材として「発声法と発音練習」「会話読本」「作文の指導」などを作成しようと準備していたが、これについて職務上の指示があったわけでなく、また、予算上の措置が講じられていたわけでもなかった(吉岡芳和証人、原告、甲三ないし五)。

4  被告は、同一校での長期勤務者の解消をはかること等のため、昭和五六年一一月四日付けで「東京都区市町村立小・中・養護学校教員の定期異動実施要綱」(以下、異動要綱という)を定め、制定の日から施行した(なお別途経過措置が定められ、昭和六一年一〇月一八日から本則どおり実施された)。右異動要綱は、現任校に引き続き一〇年以上又は新規採用以来六年以上(経過措置によれば昭和五七年度は一三年以上、五八年度は一〇年以上、五九年度は八年以上、六〇年度は七年以上)勤務する者を異動対象とし、「異動することが適当でないと東京都教育委員会が認めた者は、異動対象から除外する」(第3異動の対象、6項)こと等を規定していた(この異動対象から除外することがいわゆる「六項適用」であり、校長が具申するものとされていた)。また、異動要綱に基づく異動を行うために、異動要綱運用細目(以下、運用細目という)が制定され、同年一〇月一八日から施行されたが、右細目の六項では、前記の異動対象者について、「心身障害学級、養護学園、区立養護学校、中学校夜間学級に勤務する教員の異動は、学校数や学級数が限られているうえに専門的な能力を必要とする場合もあることから、学級の事情や障害の重度化、多様な状態などを考慮し、校長の具申、区市町村教育委員会の内申に基づき東京都教育委員会が個々に判断する。また、心身障害学級担任の異動対象者は、校長の具申、各区市町村教育委員会(以下、地教委という)の内申に基づいて、異動要綱の第3異動の対象6により一二年、八年になる。」と定められていた(乙三、五)。

5  定期異動の手続は、通常、次の順序により行われる(安藤駿英証人、島津忍証人、甲一一、弁論の全趣旨)。

(一) 被告は、地教委に対し、指導室・課長会で次年度の異動要綱の説明をし、各指導室・課長は、管内校長会を開催して右要綱を伝達する。各校長は、これを所属教員に説明し、異動要綱中の異動対象者及び異動希望者に異動調査書用紙を配付して、これに住所、氏名、現任校実勤務年数、担当教科、免許状、教職歴、都地域別経験、自己の適性、転出希望先等を記入させる。

(二) 校長は、異動対象者等から異動調査書を受領し、これを地教委の指導室・課長に提出する。右の際、校長は、異動対象者の異動を希望しない場合には、異動調査書の校長所見欄にその旨を記載するとともに、校長から被告宛ての異動延期理由を記入した具申書を提出し、場合によっては更に詳細な理由書を本人から出させて添付して提出する。

(三) 指導室・課長は、提出された異動調査書に基づき各学校長から事情を聴取するとともに、各学校長から異動除外の具申のなされた者の一覧表を作成して意見を付す。被告の担当管理主事は、指導室・課長から、右一覧表及び異動調査書を受領し、これに基づき事情を聴取する。右の際に、校長からの具申書及び本人からの理由書も同時に提出される場合がある。

(四) 管理主事は、異動除外についての校長の具申、地教委の内申のあった者については審議を行って当否を決定し、否となった者はその他の異動対象者と同じ取り扱いをする。

(五) 被告は、異動の結果を現在校の属する各地教委の指導室・課長及び転出先の各指導室・課長に内示し、指導室・課長から現在校の校長に内示する。

転入先の各地教委の指導室・課長は、その者の所属校を決め、その結果を被告に報告し、被告がその結果を当該校の校長に内示する。

(六) 校長は、右の結果に基づいて異動具申書を作成して各地教委の指導室・課長に提出し、指導室・課長は、これを被告に内申する。

(七) 被告は、右の手続に基づいて異動の発令を行い、異動対象者が異動できなかった場合には従前の学校に残留することになる。

6  被告は、昭和五九年度及び六〇年度の定期異動期の原告の処遇について、異動対象からの除外(前記一4で記載する六項適用、なおこの時期は異動要綱の本則が実施される前の経過措置の段階であった)を申請する旨の佐藤治葛西小校長(以下、佐藤校長という)からの具申と江戸川区教育委員会(以下、江戸川区教委という)からの内申に基づき、原告を定期異動の対象から除外する措置をとった(甲一一)。

昭和六一年度及び六二年度の定期異動期の原告の処遇については、被告に対して六項適用についての佐藤校長からの具申も地教委からの内申もなかったものの、結果的に具体的な異動先が決まらなかったために、原告が右異動期に異動することにはならなかった(甲一一)。

7  原告は、昭和六三年度定期異動に関し、吉岡芳和葛西小校長(以下、吉岡校長という)に対し、異動調査書とともに、教材作成途上であることや引揚げ者がピークを迎えつつあるので、いましばらく葛西小日本語学級で自らの能力経験を生かしたいこと等を記載した理由書を提出し、異動したくない旨の意思を伝えた。

吉岡校長は、昭和六三年度の定期異動期の原告の処遇について、六項適用の具申をせず、江戸川区教委からの聞き取り時に、指導室長中村満洲男(以下、中村指導室長という)に対し、原告を転任させたい旨の上申を行った。

中村指導室長は、被告からの聞き取り時に、管理主事島津忍(以下、島津管理主事という)に対し、右原告の処遇について、原告を転任させたい旨の説明を行った(島津証人)。

8  被告は、昭和六三年三月一〇日、吉岡校長に対し、原告を中川小に異動させる旨の内示をし、同年四月一日付けで原告を中川小教諭に補職する旨の異動を発令した(以下、本件転任処分という)。原告は、中川小において、小学校全科を担当している。

9  原告が東京都人事委員会に対し、本件転任処分の取消しを求める不服申立てを行った(昭和六三年(不)第五八号転任処分取消請求事件)ところ、同委員会は、平成三年一二月二五日、右不服申立てを棄却する旨の裁決をなし、原告は、右裁決書を同月二六日に受領した。

二  争点

本件転任処分の適法性。なお、被告は、本件転任処分の処分性を争っている。

三  争点に関する当事者の主張

(原告)

1 被告の人事異動処分に関する裁量権の制約

(一) 被告の人事異動処分についての裁量権は、無制約な自由裁量権が認められているわけではなく、教員の身分保障の法理に基づき一定の制約が存する。

(二) 憲法二六条が教育を受ける権利を規定するが、とりわけ子供の学習権は、自らに内在する多面的な可能性を開花させ、人間としての豊かな成長発展を追求して行く固有の権利であるとともに、子供が成人に成長したとき、国民の一員として有する思想・良心・言論表現・学問などの諸自由や参政権を適切に行使するための能力を培うもので、憲法上重要な意義を有する権利である。そして、子供の学習権を充実するためには、子供自ら一人で学習を組織的、系統的に行うことはできないため、国、地方公共団体、父母、教職員がそれぞれの立場・役割から協同して取り組まなければならないが、とりわけ教員は、学校にあって直接に子供達に接し、教育に携わる立場にある者として、学習権充足の責任は重大である。

したがって、同じ公務員であっても、教員についての「全体の奉仕者」性は、一般公務員のそれとは異なった意味を有し、教員の職務である教育が子供の学習権を充足するためにあることから、社会的公共性を有する活動に従事するものという意味で「全体の奉仕者」性を有するというべきである。それゆえに、教育基本法六条二項は、教員の身分について一般公務員以上に身分保障をしなければならないことを明記しており、同法一〇条一項は、「教育権の独立」を規定し、同条二項で教育行政の任務として、教育目的達成のための条件整備性を規定しており、人事権も教育条件整備行政の一環として、教育目的すなわち子供の学習権の充足達成のために行わなければならないというべきである。

(三) 右の教員の身分保障の法理によれば、被告の人事異動処分に関する裁量権は、次のような法的制約を受けると解すべきである。

(1) 教員に対する人事異動処分が当該教員の教育活動を過度に阻害する結果となる場合には、それは裁量権の範囲を越えて違法となる。このことは、「教育関係の継続性」「教育の地域社会性」「人間的意欲の必要」から導かれるものである。

(2) 当該学校の教育活動全体が過度に阻害される結果となるような人事異動処分は、裁量権の範囲を越えて違法となる。このことは、教育計画が学校教職員全員の合意を基盤にしていることから、異動によるメンバーの変更は時として学校の教育計画を著しく阻害する場合のあることから導かれる。

(3) 人事異動処分は、教育基本法一〇条二項により、教育条件整備のために行われるものである。したがって、教育活動を助長し、教育効果を高めることを目的とするものでなければならないから、それ以外の目的で行われる人事、例えば報復人事は処分権の濫用で違法である。このことは、非教育的な目的、すなわち組合活動を抑圧する目的であるとか、退職勧奨を拒否した人に対する報復人事が行われる場合があることから導かれる。

(4) 条理上、本人の意見を聞き、その納得を求める手続が必要と判断される場合に、その手続を踏まない不意転は、手続の違法とされる。このことは、不意転の場合、一般に本人の意欲を欠く場合が多く、(1)ないし(3)の原則を否認させるものがあることから導かれる。

2 裁量権の濫用による違法

(一) 中国からの引揚げ者の数は、昭和五三年に二八〇名、昭和五六年に六八一名、昭和六三年に一三五二名と激増している。そして、引揚げ者の子供達も親とともに初めて日本の土に足を踏み入れ、わが国で暮らすため、その生活への適応を図ろうとしている。しかし、日本文化を母文化とせず、日本語を母語としない引揚げ者の子供達にとって、わが国の学校教育の中で自らに内在する多面的な可能性を開花させ、人間として豊かな成長発展を追求していくことは容易なことではない。そのため、彼らの学習権を充足させるため、教育の職務を担当する教員も、日本語及び日本文化に精通していることはもちろん、子供達の母語及び母文化にも一定程度以上の学識を有し、子供達とのコミュニケーション確保の技術などにも精通しているという極めて専門性のある学識経験を有するものであることが要請されるのであり、十分な教材も必要となってくるのである。

(二) 原告は、昭和四九年四月から、葛西小で日本語学級の教諭として、主として中国、韓国からの引揚げ者の子供達の教育に当たってきたが、適切な教育を行うため、自費で中国語及び韓国語を履修するなど献身的な努力を行い、同僚の春日井教諭らと協力して「文型の基本」、「生活指導の手引き」という教材を作成してきた。そして、これら教材は、原告が担当する子供達の教育に使用されたばかりでなく、他校や他教育機関で日本語を担当する教諭たちの指導書としても広く利用されている。このように、原告は、その教育活動の全てを葛西小日本語学級、さらには引揚げ者の子供達に対する教育の困難性克服のために費やしてきた。

原告は、本件転任処分当時、引揚げ者の子供達に対する教育活動の集大成として、具体的教育実践を踏まえ、前記教材を発展させた三つの新たな教材、「発声法と発音練習」「会話読本」「作文の指導」等を作成中であった。そして、これらの教材の完成は、原告の葛西小日本語学級での具体的教育実践の中で初めて可能なものであった。ところが、本件転任処分は、原告の右教材作成の機会を全体的に奪うものであり、これは、これまで積み重ねてきた引揚げ者の子供達への教育活動の集大成としての、また、今後の引揚げ者の子供達への教育をより適切に行わしめるための教材の作成という社会的公共性を有する教員としての原告の教育活動を、過度に阻害する何ものでもなく、明らかに裁量権の範囲を越えた違法なものである。

(三) 葛西小日本語学級は、わが国における引揚げ者の子供達の日本語教育のセンターとしての役割を果たしている。そして、日本語教育のセンターとしての葛西小日本語学級には、日本語教育の基本概念を十分体得した高度な専門家で、過去において十分な教育実践を経験して今後の指導者を育成できるベテランであり、中国語や韓国語に堪能で児童のカウンセリングの能力を有する教員が配置されるべきである。

そして、右のような様々な異なる条件を満たすためには、原告の存在が不可欠である。すなわち、原告は、文化庁主催の日本語教育指導者研修の初級、中級研修を受講し、その技能を体得しているほか、日本語学級における豊富な経験をもとに引揚げ者の子供達の教育問題について全国の教育現場から指導のための講演を依頼され、それを実行するほか、「日本語学級の子どもたち」「国境を越える子どもたち」等多数の著書を執筆する文字どおり引揚げ者の子供達の日本語教育のベテランであり、葛西小日本語学級に適材といえる。また、原告は、中国語及び韓国語に精通し、中国からの引揚げ者の子供達の多い葛西小日本語学級には最適であり、本件転任処分当時に、右学級には韓国語だけしかできない子供が二人いたが、教師には韓国語のできる者は一人もいない状況であることを思えば、原告の適格性はこの面からも実証される。さらに、原告は、「文型の基本」「生活指導の手引き」という教材を作成して校内指導に役立たせたほか、右教材は校外の各種教育機関の指導書にもなっている。さらに、本件転任処分当時、「発声法と発音練習」「会話読本」「作文の指導」などの教材の作成を進行させており、引揚げ者の子供達の教材がないことに苦しむ教育現場に待望久しい教材作りを行っている途中の状況にあり、これらの教材の完成を間近にひかえた状況での原告の葛西小への残留は教育現場にある者全員の願いである。

したがって、原告の本件転任処分は、葛西小日本語学級が果たしている日本語学級のセンターとしての重要な役割に支障をきたすものであるから、葛西小の教育活動全体を過度に阻害する結果をもたらすもので、この点からも被告の裁量権の範囲を越えた違法なものである。

3 重大な手続違背

(一) 原告は、昭和六三年度の定期異動に関し、過去の四回の場合と同じ手続や形式で異動調査書を提出したこと、理由書もこれまでと同様に提出したこと及び吉岡校長とのやりとり等から、異動になることはないと信じていた。ところが、吉岡校長は、原告を異動させる必要があると意図していたのにもかかわらず、原告に対し、転任させないように努力すると明言し、異動調査書の転出欄の記入に際しても「止まるようにするから、とにかくこれを形式的に書いてくれないと私が困るから顔を立ててくれ」と述べ、転出欄への記入をさせた。

(二) 吉岡校長は、地教委からの聞き取りに際して中村指導室長に対し、日本語学級に残留する春日井教諭が原告が転任すると非常に困る状況になると述べ、さらに葛西小の他の教師も原告の異動に反対していたのにもかかわらず、これとは全く反対の事実を具申した。

中村指導室長は、原告自身が異動を希望していないことを認識していたが、原告の異動を強く意図していたため、異動調査書の教科欄に「小全」(小学校全科の意味)と記入した。これは、昭和六一年度及び六二年度の原告の異動調査書の教科欄には「日本語」(日本語学級の意味)と地教委において記入していたため、原告が異動対象者となっていたのにもかかわらず、結果的に日本語学級での異動先がなかったため、異動にはならなかったことから、「小全」と記入すれば異動先が小学校全科となるので、必ず異動させることができると考えて行ったものである。

(三) 中村指導室長は、被告の聞き取りに際して島津管理主事に対し、原告が小学校全科での異動など希望していないのにもかかわらず、これを希望していると虚偽の事実を報告し、さらに原告が提出していた理由書の存在すら報告しなかった。

(四) 被告は、教員の異動にあたって、校長又は指導室から異動除外の具申又は内申がなされていない場合であっても、地教委の指導室からの聞き取り時に諸事情を聴取し、被告の判断によって異動除外を行うこともあり得る。そして、異動除外の手続は、校長の具申、地教委の内申、被告の個々的判断というそれぞれの手続きが公正になされることが要請されるところ、本件転任処分について、前記(一)ないし(三)記載の虚偽の報告等によって事実関係が正確に被告のもとに伝わっていないのであるから、被告は公正妥当な判断ができなかったというべきである。したがって、これらの手続違背は、これをもって本件転任処分を違法ならしめるものである。

(被告)

1 本件転任処分の処分性

本件転任処分は、単に勤務校の変更を命じたに止まり、その転任によって原告の公立学校教員たる身分や給与に影響を与えるものではなく、勤務場所、勤務内容等において何らの不利益を伴うものではない。したがって、本件転任処分は、公務員としての権利、利益を害することのある公権力の行使にはあたらない。

2 人事異動処分における裁量権

(一) 原告の主張1は、教育基本法一〇条一項が教育権の独立を規定しており、その延長線として、教員には一般の公務員より強い身分保障がなされているのであり、人事異動が原告の主張1(三)に該当する場合には違法となるとするものである。しかしながら教育基本法一〇条一項が教育権の独立ないし教員の身分保障を定めたものでないことは明らかであり、原告の主張は理由がない。

(二) 原告の主張1(三)(1)及び(3)の「教育関係の継続性」「教育の地域社会性」については、教育を受ける者にとって必要であると考えることができ、これらのことは教育行政によって十分考慮され実践されてきているところである。これに加え、教育にあたる教員自身のために、教育を受ける者と一体となった教育関係ないし教育関係の継続性、地域社会性を持ち込む必要性は全く認められない。また、「人間的意欲の必要」という観点については、もともと地方公務員である教員は職務の遂行にあたっては全力を挙げてこれに専念しなければならない(地方公務員法三〇条)のであるから、この点を取り出して特別の意義を認める必要はない。

原告の主張1(三)(2)は、被告が学校運営上当然に考慮すべきことであり、仮に人事異動によって当該学校の教育活動全体が過度に阻害されることがあったとしても、それは被告の責任であり、当該人事異動そのものが違法となるわけではない。

原告の主張1(三)(4)については、権限濫用法理によって十分に考えられることであり、教育権の独立ないし教員の身分保障によって導き出される必要はない。

3 裁量権の濫用の有無

(一) 原告の主張2(一)については、引揚げ者の子供達の教育を担当する教員がある程度母語を知っていることは必要であろうが、母語や母文化に一定程度以上の学識を有すること、子供達とのコミュニケーション確保の技術に通じている専門性のある学識経験を有する者であることが要請されるとは限らない。そして、右教育の内容は、海外で身につけた資質を正しく伸ばしながら日本の学校生活になじませる指導すなわち適応指導で足りると考えられる。

(二) 原告は、原告の主張2(二)において、教材を完成させるためには葛西小日本語学級に止まり教育実践を続けることが不可欠であったと主張する。しかしながら、原告は職務上このような教材を製作することを命じられた事実はなく、その製作は原告自身の発意に基づくものであり、原告のために保護されるべき利益を侵害したものとはいえない。また、原告は一四年にわたる日本語学級の経験を有するのであるから、その担当を離れても教材を製作しうるものと思われるし、被告としては、既に原告らが作成した二冊の手引書が存するので、これらの内容を超える教育は実践活動の中で行えば足り、あえて教材までも作成する必要性を認めない。なお、被告が日本語学級における教育を適応教育を行うものと位置付けているところ、原告はこれを超える教育理念を主張するところから新たな教材の作成を主張するものであるが、右教材作成についての予算の申出等もしておらず、右教材発行の予算が認められる可能性もほとんどなかったというべきである。

(三) 原告の主張2(三)のうち、葛西小日本語学級が日本語教育センターとしての役割を果たしていたか否かは不明であるし、葛西小にどのような教師を配置するかは、被告の責任において考えるべきものである。殊に日本語学級は、平成元年度から通級制に変更しており、その担当教師が必ずしも語学の堪能者であることを必要とするものではない。

(四) 以上のとおり、本件転任処分に裁量権の濫用はない。

4 手続違背の有無

(一) 異動除外の手続は、その者の所属学校長が被告宛ての当該教員の異動除外を求める申請をしなければ、地教委から被告への内申もなく、被告が個々的に異動除外とするか否かの検討をすることもないのであって、異動調査書のみにより、異動希望先の地教委へ異動調査書が配付されて異動先が選定されることになっている。右の点は、運用細目の六項目に所定の心身障害学級等の担当教員であっても同様であり、これらの教員については、所属校の事情により学校長の申請がある場合には、二回までは異動除外を認めることができる旨が決められている。

(二) 原告は、原告の主張3(一)及び(二)において、吉岡校長が、原告に対して葛西小に残留できるように努力する旨約束しておきながら、中村指導室長に対し、原告を異動させたいとの異動調査書(校長所見欄)を提出したこと等は重大な手続違背であると主張する。しかしながら、吉岡校長は、原告に対し、事前に異動除外は困難である旨伝えているし、原告作成の理由書を中村指導室長に提出したものの、同人から異動の実施を強く匂わされたことから、原告の異動を主張できなかったものである。異動についての具申権のみを有する校長にとっては、「努力する」という約束をしたとしても、その効力は単に「主張してみる」という程度の話であり、拘束力のある約束ではない。殊に、初任後一四年を経過し、その間異動除外を二回認められ、その後二回のいわゆる「結果六項」となって残留している原告を、そのまま残留させるだけの理由を欠く場合には、いかに理由書を提出してみたところで、その相当性を主張し得なかったことは当然である。

(三) 原告の主張3(三)については、中村指導室長は、島津管理主事に対し、原告作成の理由書を提出しなかったものの、原告が残留を希望していることは伝えている。

(四) したがって、被告の行った原告に対する本件転任処分に何ら手続違背はないというべきである。

第三  当裁判所の判断

一  本件転任処分に至る経緯について

本件転任処分に至る経緯(昭和六三年度定期異動期の原告の処遇)等に関して、証拠(甲三ないし七、一〇、一一、四七、四九、吉岡証人、中村証人、島津証人、原告)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  吉岡校長は、昭和六二年一〇月二〇日ころ、江戸川区教委から異動調査書を受領し、その後、葛西小の職員朝会で昭和六三年度の定期異動についての説明をするとともに、そのころ原告に対して異動調査書を配付して記入を指示した。原告は、同年一一月初旬ころ、吉岡校長に対し、新しい教材の作成にとりかかっている等の理由で昭和六三年度は異動せずに葛西小に残りたい旨を伝えたところ、吉岡校長から、異動せずに残ることは難しくなってきている状況にあり、できるかどうかわからないが残留できるように努力するとの説明を受けた。その後、原告は、異動調査書を転出希望先欄を記載しないままで提出した。これに対して吉岡校長から原告に対し、転出希望先を書かないと調査書がどの区へ回っていくかわからないし、自分の立場としてもこの点の指導を落としたと思われるのは困るので顔を立てて記載してくれるように話があったため、原告は、転出希望先欄に、墨田区、荒川区、江東区、新宿区の希望順位で記載して吉岡校長に提出した。その際原告は、異動せずに葛西小の日本語学級での教育を続ける必要がある理由として、新しい教材を作成中であること、引揚げ者の子供達への生活指導の体系ができるまで継続したいこと、韓国語も離せるのでその能力をいかしたいこと等を記載した理由書を提出した。

2  春日井教諭は、昭和六二年一一月ころまでに、吉岡校長に対し、原告が異動になると子供達の日本語教育の面や精神的な面で非常に困った状況に陥ること、翌年には出産の計画があること等の話をして、原告を異動させないように要請した。

3  吉岡校長は、原告が提出した異動調査書中の校長の所見欄に、新規採用以来一四年間勤務しているが日本語学級に対する意欲、情熱は旺盛で、生活指導の中心的存在であること、中国語及び韓国語が堪能なので引揚げ子女の教師として活躍するのが好ましいこと、一校のみの経験では視野も狭くなりマンネリ化の傾向も出てくるので経験をつけさせるという視点から是非異動させたいこと等を記載し、昭和六二年一一月一九日ころ、江戸川区教委の中村指導室長に対し、原告作成の理由書とともに提出した。その後まもなく、中村指導室長との面接の際に、吉岡校長は、原告が葛西小に残りたいとの希望を持っていると伝えたものの、中村指導室長から原告を異動させる必要があると強く諭されたこともあり、異動調査書の校長の所見欄に記載したとおり原告を異動させたい、原告異動後の日本語学級についても六年になる春日井教諭が後継できるとの意見を表明した。中村指導室長は、異動調査書の教科欄に、「日本語」と記入すると昭和六一年度及び六二年度と同様に異動先が決まらず異動できなくなると考えて「小全」と記載した。

4  中村指導室長は、被告に対し、原告の異動調査書を提出したが、原告作成の理由書を提出せず、昭和六二年一二月四日ころ、被告の島津管理主事の聞き取りに際し、原告が小学校全科での異動を希望していないことを知りながら小学校全科で異動を希望していると伝え(原告が異動を希望していない旨を指導室長として島津管理主事に伝えたとの中村証人の供述は、甲一一及び島津証人の証言に照らして採用できない)、また、原告が異動しても葛西小の日本語学級には在籍六年目になる春日井教諭がいるので支障は生じない旨の説明をするとともに、自分自身も吉岡校長も原告を小学校全科で異動させたい考えであることを示した。

5  被告は、原告を小学校全科で墨田区に異動させることを決め、昭和六三年一月一六日、江戸川区教委及び墨田区教育委員会(以下、墨田区教委という)に内示したところ、墨田区教委が原告を中川小に異動させる旨を内定したので、同年三月一〇日、この異動案を葛西小に内示した。そして、吉岡校長は、同年三月一一日、原告に対し、中川小への異動を内示した。

6  原告は、昭和六三年一月ころから、墨田区へ異動するかもしれないとの情報を得ていたため、吉岡校長に対してその確認等を求めていたが、吉岡校長からは具体的な回答がなかった。原告と同人の所属する労働組合は、中川小への異動の内示があった後、吉岡校長に対し、数回にわたって原告が葛西小へ残ることができるように要請したものの、同年四月一日に本件転任処分が発令された。

7  原告の後任には大学卒業後三年間インドネシアの日本人学校に勤務していた阪本道子教諭が配置されたが、同人は中国語で教えることができなかったため、中国語を話せる講師が新たに採用された。春日井教諭は、昭和六三年一二月から産前産後の休暇及び育児休業に入り、その間は前記講師が産休代替教員となり、さらに別の講師が採用された。

8  葛西小日本語学級の在籍児童数は、昭和六二年度まで概ね二五名前後であったが、昭和六三年度二一名、平成元年度一三名、平成二年度四名となった。

二  日本語学級教員の異動基準について

異動における日本語学級教員の取扱い等については、前提となる事実4、証拠(甲三ないし五、一〇、一一、乙二、三、五、六、安藤駿英証人、島津証人、中村証人、原告)及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

1  昭和六三年度の定期異動期当時、異動要綱には「異動することが適当でないと被告が認めた者は、異動対象から除外する」(第3異動の対象、6項)と定められ、運用細目には、「心身障害学級担任の異動対象者は、校長の具申、地教委の内申に基づいて、異動要綱の第3異動の対象6により一二年、八年になる」と定められていた。そして、被告は、右異動要綱及び運用細目の実際の運用に当たって、右運用細目記載の心身障害学級等については、現任校に引き続き一〇年以上又は新規採用以来六年以上勤務する者について原則として異動対象としていたが、右年数に達した者であっても校長の具申及び地教委の内申のある者については、学級の事情や障害の重度化、多様な状態などを考慮して二回(二年間)までは、異動対象から除外することができるとの扱いをしていた。そして、校長の具申及び地教委からの内申のない場合には、被告が独自の判断で異動対象から除外するとの扱いをすることはなく、また、三回以上の異動対象からの除外具申等は認めないとの扱いをしていた。もっとも、異動対象のリストにあげられても、結果的に異動先がないため、異動できない場合もあった。被告の右異動に関する取扱いは、心身障害学級担任についてのみではなく、明文のない日本語学級担任についても適用されていたところ、平成二年一〇月一二日、日本語学級担任についての右取扱いが運用細目上も明記された。

2  日本語学級は、音楽や図画工作のように教科として独立しているわけではなく、これを担当するための特別の免許を必要とするものではないが、日本語を母語としない児童等に日本語教育や生活指導などを行ううえで必要な専門性や熟練性が要求される領域であった。

3  異動調査書の教科欄は、地教委の担当者が記載することとされているが、昭和六三年度の定期異動期当時、原則として、東京都に採用された時の教科(例えば小学校全科、音楽専科等)で記載することになっていたものの、心身障害学級担任や日本語学級担任として異動する場合には、これが小学校全科とは区別された別個の領域と考えられ、「小全(心障)」、「小全(日本語)」等と記載する扱いをしていた。したがってまた、それまで日本語学級を担当していた者であっても、教科欄に単に「小全」と記載された場合には、異動調査書が小学校全科の区分で地教委へ回されるため、日本語学級を担当する可能性はほとんどなかった。

三  本件転任処分の適法性について

1  まず、被告は、本件転任処分が、単に勤務校の変更を命じたに止まり、その転任によって原告の公立学校教員たる身分や給与に影響を与えるものではなく、勤務場所、勤務内容等において何らの不利益を伴うものではないから、そもそも公務員としての権利、利益を害することのある公権力の行使にはあたらないと主張するが、前提となる事実及び前記二の認定事実によれば、本件転任処分は、単に勤務校の変更のみではなく、原告の担当を日本語学級担当から小学校全科の担当に変更するものであり、日本語学級を担当するためには、小学校全科に必要とされるものとは異なる専門性、熟練性が備わっていることが求められており、被告も現に日本語学級を担当している教員を異動させる場合にはその特殊性を考慮し、一般の教員の異動の場合とは異なり、校長の具申、地教委の内申に基づいて被告が個々に判断するものと定められているうえ、日本語学級担当として異動させる場合には、小学校全科とは区別して異動調査書に記載する扱いをしているものであり、原告が昭和四九年(採用時)から昭和六三年(本件転任処分当時)まで日本語学級の担当教員として勤務し、本件転任処分により長年にわたって習得してきた日本語学級担当に関する専門知識、経験、教育の技法等を今後活用できなくなるものであるということができる。このような事情を総合して考えると、本件転任処分は、客観的、実際的見地からみて、その勤務内容に不利益を伴うものであることが明らかであり、地方公務員法四九条一項に規定する「不利益な処分」に該当するというべきである。

2  そこで、本件転任処分の適法性について判断するに、転任処分については、任命権者が任命権の作用として行政目的達成のために行うことができるものであり、その行使に当たって法律上の制限が定められていないから、被告の裁量権に委ねられたものというべきであるが、教育公務員については、教育基本法六条二項、一〇条二項により身分が尊重され、その待遇の適正が期せられているところ、被告においては、教員の異動に関する定めとして異動要綱、運用細目を制定し、これに従って教員の異動を実施しているのであるから、これらの規定の趣旨を逸脱し、あるいはこれと同視しうる重大な手続違背が存する場合には、その転任処分は、裁量権を濫用した違法があるとの評価を免れないというべきである。以下に、これを検討する。

(一) 本件転任処分は、原告の担当教科ないし領域を日本語学級から小学校全科へ変更するものである。確かに、日本語学級は、小学校全科を担当する場合に要求される専門的知識や経験とは異なる意味での専門性や熟練性が要求される領域であるから、日本語を母国語としない児童の特質に配慮し、学級や教員の配置に特段の配慮がなされるべきものであることはいうまでもないが、これを担当する教員には、任用の際に教科が特定されている音楽、図画工作の教員とは異なり、別に任用条件として定められた教科があるのであるから(原告の場合は小学校全科)、被告は、日本語学級を担当している教員に対し、そのおかれている事情、学校あるいは学級の状態等の事情いかんによっては、任用条件となった教科に異動させることが許されるものと解すべきである。

そして、本件転任処分当時の被告における教員の異動基準では、新規採用後六年を経過した者は原則として異動対象となるが、日本語学級担当教員の場合には校長の具申等により、二回(二年間)までは異動対象から除外されるというものであったところ、右基準自体は同一校での長期勤務から生ずる弊害を解消するための合理的なものであるということができる。

ところで、原告の葛西小での勤務年数は、本件転任処分当時には新規採用以来一四年に及んでいたが、日本語学級の数が少ないため、被告が本件転任処分の前年及び前々年の定期異動期に原告を日本語学級担当教員の区分で異動させようとしたものの異動先がなく、結果的に異動にはならなかったことからすれば、本件転任処分当時に日本語学級担当教員の区分で異動させようとしてもできない恐れがあり、本件全証拠によっても当時原告を日本語学級担当教員として受け入れができる異動先が存在したことを窺うに足りる事情は見当たらず、右異動ができなかった可能性が極めて高かったものということができる。

もっとも、原告は、本件転任処分当時、「発声法と発音練習」「会話読本」「作文の指導」等の教材の作成を準備していたものであり、また、葛西小日本語学級が他の日本語学級等の指導的役割を果たす存在であったが、本件転任処分によって右役割を果たすことができなくなったものということができる。しかしながら、教材については、原告が既に「文型の基本」「生活指導の手引き」という二冊の教材を作成しており、新たな教材の作成についての職務上の指示や予算上の措置が講じられていたわけではなく、また、日本語学級の指導的役割を果たすことができなくなったことについては、原告の後任には中国語が話せない教諭が配置されたが、同時に中国語の話せる講師も採用され、原告転任後の葛西小日本語学級の体制について一応の配慮がなされており、これ以上に同学級をいかに運営するかは、被告の責任において考慮すべき問題であると認められる。

以上によれば、本件転任処分は、原告の葛西小での勤務年数が新規採用以来一四年に及んだため、被告の異動要綱、運用細目に基づき、同一校での長期勤務解消のために行われたやむを得ないものであるということができるから、本件転任処分が原告の意思に反して担当教科(あるいは領域)を日本語学級から小学校全科へ変更する内容とするものであったからといって、被告の裁量権を逸脱した違法があるということはできない。

(二) 次に、本件転任処分における手続違背の存否について検討する。

定期異動は、前記のとおり、異動対象者には前年秋に異動調査書用紙が配付され、校長が異動希望先等の記入された異動調査書を区指導室に提出するとともに事情の説明を行い、区指導室が同じく被告管理主事に異動調査書を提出して事情の説明を行う等の手続を経て決められていた。ところで、本件転任処分にかかる昭和六二年一〇月ないし一二月ころの手続きの状況についてみると、前記のとおり、吉岡校長は、原告を異動させる方向での意見を中村指導室長に述べる意思があり、現実にもその旨の意見を述べているのにもかかわらず、原告には異動がないように努力すると話し、また、春日井教諭から原告が異動すると日本語学級での教育活動等に支障が生ずること及び出産の計画があること等の話を聞いていたが、中村指導室長には原告が異動しても経験六年になる春日井教諭が後継できる旨の説明をしたこと、中村指導室長は、原告が日本語学級から小学校全科への担当教科(あるいは領域)の変更を希望しておらず、異動自体も希望していないことを知りながら、異動調査書の教科の区分欄に「小全(日本語)」と記載したのでは異動先がない可能性が高いので、原告の異動を容易にするために同欄に「小全」と記載し、また、島津管理主事からの聞き取りに際し、原告が小学校全科での異動を希望していると伝え、原告が作成した異動できない理由を記載した理由書の存在についても知らさなかったことがそれぞれ認められ、これらの一連の手続を通じて原告の異動に関する希望が被告に全く伝わらなかったものということができる。

しかしながら、昭和六三年度の定期異動期当時、心身障害学級担任及び日本語学級担任について、異動要綱及び運用細目等に基づく異動対象者を異動対象から除外する具体的な手続は、前記のとおり、新規採用者の場合には六年以上現任校に勤務する者について異動対象となったが、校長の具申及び地教委の内申があれば、被告の判断で二回(二年間)に限り異動対象からの除外措置をとりうるものの、右具申及び内申がない場合には被告が独自の判断で異動対象からの除外を行うことはせず、また、三回以上の異動対象からの除外の具申・内申は認めないとするものであった。そして、校長が異動対象からの除外具申をしない限り、被告が独自の判断で右除外措置を行うことをしないのは、当該教員を異動対象から除外するかどうかは、当該学校の状況全般の情報を最も多く把握している学校長が教員の異動で生ずる支障の度合いを考慮して判断するのが適切であるから、被告もこの判断を尊重することが実情に沿うとされているものと解することができ、学校長が除外具申の必要性がないと判断しているにもかかわらず、区指導室あるい被告管理主事が独自に右支障の有無を調査判断するのは、必ずしも現実的とはいえないうえ、異動対象者数が毎年八〇〇〇人ないし九〇〇〇人と多数にのぼること(安藤証人)が窺われることからすれば、物理的にも難しいものであることを考慮すると、右手続は合理的なものであるということができる。また、三回以上の異動対象からの除外具申を認めない扱いについても、普通学級担任の場合、一般の事情による異動対象からの除外具申は一回に限り許されているにすぎないことが認められ(安藤証人、島津証人)、これに比較して日本語学級担任の場合にはその特殊性が考慮されているものということができ、同一校での長期勤務解消と日本語学級勤務の特殊性とを調整することを目的とする右手続は十分に合理性があると認められる。

本件において、当時原告は新規採用以来葛西小に一四年勤務しており、異動対象からの除外具申が可能な状況にはなく、佐藤校長も一二年め以後は除外具申をしておらず、吉岡校長も除外具申を実際に行っていないのであるから、異動に関する原告の意思ないし希望がいかなるものであったかにかかわらず、本件転任処分が行われることは必至の状況であったというほかない。したがって、中村指導室長が島津管理主事に対して事実に反して原告が小学校全科での異動を希望している等と伝えたことは、不適切なものというべきであるが、右行為が被告の判断結果に影響を与えたものとは認められないから、これをもって本件転任処分を違法とする手続違背であるということはできない。また、吉岡校長が原告に転出希望先欄を記載するよう求めたことは、異動対象者が異動調査書を記載することになっている以上当然のことであるし、吉岡校長が原告を異動させる意思があったにもかかわらず、異動しないように努力すると原告に説明したことは、誠実さを欠く対応というべきであるが、これをもって本件転任処分が違法であると認めることはできず、吉岡校長が春日井教諭から聞いた内容を中村指導室長に話さなかった点は、原告の異動による支障の程度にかかわる事情にすぎず、吉岡校長の措置が本件転任処分を違法とするものであると認めることはできない。

四  結論

以上のとおり、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤賢治 裁判官白石史子 裁判官片田信宏)

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